神社大好き…
ばるしゃんは『無宗教』である。というか、積極的に宗教は大ッ嫌いである。人の弱みにつけこむから等々、嫌う理由の全てを述べるつもりはない。いつも云っているように”好き嫌いに理由はいらない”のである。
そんなばるしゃんが神社は大好きである。といっても、神社好きの歴史は古いものではなく、2003年の5月にルーツを訪ねて以来のことである。
それでは、『無宗教』ではなく『神道信者』ではないかといわれそうであるが、ばるしゃんは『いわゆる神道』を宗教と思っていないのである。
そもそも神道という言葉さえ正しい使い方ではないと考えている。それは仏教が日本に伝来されて以降、宗教であるところの仏教との区別として『いわゆる神道』とされたのである。
そして、時々の権力者達がその時々の政治的理由によって、宗教であるところの仏教と『いわゆる神道』をある時は対立させ、またある時は習合させて利用してきたのである。
その利用(悪用)のさいたるものが、国民をたぶらかして戦争へと邁(迷)進させた『国家神道』であり、その代表格、象徴が”靖国神社”なのである。
戦後の1945年、GHQがこの『国家神道』の息の根を止める神道指令を出し、国家と神道の完全な分離を実施したのは周知の通りである。
神社界は1946年、全国の神社関係者が結集して伊勢神宮を本宮とする神社本庁を設立したのであるが、『靖国神社』はこの神社本庁にさえ所属できない”単立宗教法人”のひとつでしかないのである。
こんな『靖国神社』は『いわゆる神道』すなわち『神社神道』とはまるで別物なのである。それは1978年のA級戦犯の合祀以前の問題であり、天皇にせよ内閣総理大臣にせよ公人として参拝するような対象では断じてないのである。
ところで、ばるしゃんは先にも云った通り神社が大好きであり、ドライブ先で困った時(?)には近くの神社を検索して訪れることにしている。
そして、神社(神道)についていろいろお勉強もしてみた。好きなればこそである。
森羅万象への限りなき畏敬 〔神と自然〕
自然は、人智のおよばない大いなる存在だ。雷雨や旱魃や逆巻く激涛をコントロールすることなど、しょせん人間にはできない。
それでも、自然を征服すべく戦いをつづけるか、それとも、うまく折り合いをつけ、自然と柔らかい関係を結ぶか。
賢明なことに、多くの日本人は後者をえらんできた。
なぜなら、自然は一瞬のうちに略奪の限りをつくすが、同時に無限の恵みを保障するものであったからだ。
そこで人は、自然の織りなす森羅万象を「カミ」と呼び、豊穣をもたらしてくれた「カミ」をもてなし、讃えた。
また、荒ぶる「カミ」を畏れ、鎮めた。
人は常に「カミ」とともにあったのだ…
ー学習研究社 ”神道の本” よりー
毎朝神棚に向かってペンペンパッとやってます。
by みぃも (2006-01-31 19:16)
つまり…
ニ礼ニ拍手一礼
↑ ↑ ↑
ペンペンパッ
ということらしいです。
by ばるしゃん (2006-01-31 21:36)